2010/08/23

17 ANNIVERSARIES OF DEATH

8月13日(金)

この日、祖父ちゃんの17回忌 があった。

久々の、親族全員の集合となる。

小学生の頃は、よく遊びに行っていた祖母ちゃん家も、年齢が上がるにつれ行く回数も減り、

電話はたまにするものの、今では正月など含め年に1~2回となってしまっていた。。。



-----ところで話はズレるが、私は3歳頃、祖父ちゃんと祖母ちゃんに育てられた、

生粋のお爺ちゃん・お婆ちゃん子である。

ちょうど私が生まれた前後に、父が重い病気をし、

母親は病院でつきっきりの看病をしていたからだ。

そういう状況の中、私は一人預けられ、人生において始まりの時期を、

多くの時間3人で過ごすことになる。


祖父ちゃんは電気屋さんだった。

いわゆる自営業というやつだ。

昔から頑固で亭主関白だったという祖父ちゃんには、

こういう職人気質なことは向いていたのかもしれない。

だから我が家のTVは、いつも祖父ちゃんが最新型のをくれた!

そしてかなりのお酒好きのヘビースモーカーでもあった。

それこそ天井の白色が、タバコの副流煙で黄ばんでしまうほどに…(笑)

でも晩年は丸くなり、孫である私をとても可愛がってくれた。

よく膝の上に乗せて、色んな話をしてくれた。

ご飯が食べ終わると、ちゃぶ台の足を折った即席の滑り台で、遊んでくれたものだ。

(祖母ちゃんの話はまた今度の機会に!)


そんな祖父ちゃんがガンで倒れたのは、私が小学校低学年の頃だった。

当時の私には、まだ「死」の本当の意味が理解できず、

葬式の時に涙する、母親と祖母ちゃんの姿を見て、どういうことなのか、

何となくだけど感じ、「もう会えないこと」 なんだと悟った。



あれから早いもんで17年。

祖母ちゃんが、未だにプールに行ったり元気に暮らせるのは、

もしかしたら 祖父ちゃんのお陰なのかもしれない。

お経をあげてる時、感極まって、泣き出した祖母ちゃん。

祖父ちゃんの仏壇に、「親族に恵まれ、わたしゃは幸せ者だ」
と、涙声で言っていたのが忘れられない。。。


これからも、祖母ちゃんには長生きしてもらいたいと、改めて思えた夏の夕暮れ。