8月13日(金)
この日、祖父ちゃんの17回忌 があった。
久々の、親族全員の集合となる。
小学生の頃は、よく遊びに行っていた祖母ちゃん家も、年齢が上がるにつれ行く回数も減り、
電話はたまにするものの、今では正月など含め年に1~2回となってしまっていた。。。
-----ところで話はズレるが、私は3歳頃、祖父ちゃんと祖母ちゃんに育てられた、
生粋のお爺ちゃん・お婆ちゃん子である。
生粋のお爺ちゃん・お婆ちゃん子である。
ちょうど私が生まれた前後に、父が重い病気をし、
母親は病院でつきっきりの看病をしていたからだ。
母親は病院でつきっきりの看病をしていたからだ。
そういう状況の中、私は一人預けられ、人生において始まりの時期を、
多くの時間3人で過ごすことになる。
多くの時間3人で過ごすことになる。
祖父ちゃんは電気屋さんだった。
いわゆる自営業というやつだ。
昔から頑固で亭主関白だったという祖父ちゃんには、
こういう職人気質なことは向いていたのかもしれない。
こういう職人気質なことは向いていたのかもしれない。
だから我が家のTVは、いつも祖父ちゃんが最新型のをくれた!
そしてかなりのお酒好きのヘビースモーカーでもあった。
それこそ天井の白色が、タバコの副流煙で黄ばんでしまうほどに…(笑)
でも晩年は丸くなり、孫である私をとても可愛がってくれた。
よく膝の上に乗せて、色んな話をしてくれた。
ご飯が食べ終わると、ちゃぶ台の足を折った即席の滑り台で、遊んでくれたものだ。
(祖母ちゃんの話はまた今度の機会に!)
そんな祖父ちゃんがガンで倒れたのは、私が小学校低学年の頃だった。
当時の私には、まだ「死」の本当の意味が理解できず、
葬式の時に涙する、母親と祖母ちゃんの姿を見て、どういうことなのか、
何となくだけど感じ、「もう会えないこと」 なんだと悟った。
あれから早いもんで17年。
祖母ちゃんが、未だにプールに行ったり元気に暮らせるのは、
もしかしたら 祖父ちゃんのお陰なのかもしれない。
もしかしたら 祖父ちゃんのお陰なのかもしれない。
お経をあげてる時、感極まって、泣き出した祖母ちゃん。
祖父ちゃんの仏壇に、「親族に恵まれ、わたしゃは幸せ者だ」
と、涙声で言っていたのが忘れられない。。。
と、涙声で言っていたのが忘れられない。。。
これからも、祖母ちゃんには長生きしてもらいたいと、改めて思えた夏の夕暮れ。