ここ最近で、感じ考えたことを、
モノを作る理由って、人それぞれ色々あるだろうけれど、
もっとシンプルで良いと思うんです。
もっと言えば、前提としてある「ファッション」とか「アート」とか、
そんな言葉や概念としての枠すら何だか邪魔で、
意識の片隅にはあっても、表現の延長線上や結果論みたいな部分が、
「ファッション」とか「アート」になる、のが理想というより自然なんじゃないかって。
特に、アカデミックとかパブリックとかいう文脈なんて、正直どーでも良いんです。
そういうのは考察して語りたい人や批評したい人たちがやれば良いんです。
そもそもファッションで世界変えてやろうとか全く思わないし、
もっと言えば、前提としてある「ファッション」とか「アート」とか、
そんな言葉や概念としての枠すら何だか邪魔で、
意識の片隅にはあっても、表現の延長線上や結果論みたいな部分が、
「ファッション」とか「アート」になる、のが理想というより自然なんじゃないかって。
特に、アカデミックとかパブリックとかいう文脈なんて、正直どーでも良いんです。
そういうのは考察して語りたい人や批評したい人たちがやれば良いんです。
そもそもファッションで世界変えてやろうとか全く思わないし、
誰かの為にって気持ちも、今はあまりなくて(本当は実際あるけど)
小難しいことなんて諸々抜きにして、
小難しいことなんて諸々抜きにして、
今の既存の業界や固定概念なんて(知った上で)関係ないし、
それらしいテーマや言葉で補ったり塗りつぶさないで、
もっともっと素直に、その人にとっての個人的な出発点だったり、
等身大な現実と感情と向き合って色濃く産まれたモノの方が、
心揺さぶられる気がします、改めて。
それらしいテーマや言葉で補ったり塗りつぶさないで、
もっともっと素直に、その人にとっての個人的な出発点だったり、
等身大な現実と感情と向き合って色濃く産まれたモノの方が、
心揺さぶられる気がします、改めて。
何より作った本人が、自分自身のことをもっと好きになれるし、
過去も全て受け入れられる、みたいな。
巷に溢れる似たようなモノなんて、
表現の形式、場所、時期、ツッコミ出したらキリがないけれど、
何だか年々、心から笑ったり驚く機会も減ってきてて、
何だか年々、心から笑ったり驚く機会も減ってきてて、
正直ほんのちょっとだけ、つまらないです。
ここまでは戒めでもあります。
ここまでは戒めでもあります。
ここからは近況です。
もうとっくに答えは出てるし、気持ちも変わらないのだから、
誰かや何かに救われたり、救ってもらえる事もあると思うけど、
これ以上嫌いにならないためにも、やり遂げるしかないのです。
スタート地点にすら立てていない事を、強く自覚するのです。
スタート地点にすら立てていない事を、強く自覚するのです。
今までを終わらせて、
全てを振り切り、
自分自身を取り戻す。
全てを振り切り、
自分自身を取り戻す。
この明けない数年間続く憂鬱が晴れる頃には、
きっと向こう側に行ける気がしています。
そんな気持ちで、 個展は目下連日誠意絶賛準備中です!